10月11日、東京国際ファーラム・ホールC。ほとんど10年ぶりで耳にしたあの小松亮太は大きく変わっていた。そして、ある面で、まったく変わっていなかった。
まあよくある言い回しなのだが、本当にその通りなのだった。私がかつて知っていた小松亮太はまだ17歳かそのくらいで、周囲からはもっぱら゛亮太クン゛と呼ばれていた。
彼はまだ「誰も知らない珍しい楽器バンドネオン」を手にして、やはり「誰も知らない作曲家」であるアストル・ピアソラのタンゴやミロンガを、小松真知子とタンゴクリスタル」の一員として演奏していた。ピアノとギターを担当していたのは彼の両親。2人ともタンゴ界では確固として実績のある人たちだ。そこにまだ若いヴァイオリニストやベーシスト、ボーカルなどが参加する。ロベルト杉浦という、やはりまだ「誰も知らない」異色のタンゴ歌手もよく現れた。私はクラシック音楽の批評を稼業とする者なのだが、ある事情から、当時は頻繁にタンゴクリスタルとその仲間たちの周囲をうろうろしていた。1990年前後、日本がバブル経済の余韻にまで浸っていた頃の話である。
「ピアソラはタンゴの革命家なんですよーッ。ピアソラの前と後でタンゴの歴史が変わるんです」。彼は、タンゴのことをまるで知らない外来者の私に、熱っぽく語りかける。「ヘエーッ!? そうなんだ」と曖昧な返答を繰り返しながら、「でもこのチームの演奏するタンゴはいい。芸術的だ」と思った。「あのう、タンゴは芸術なんですけど」と叱られそうになる。「でもタンゴはアルゼンチンの、ちょっとヤバくていかがわしい酒場の音楽でもあるんですよね」。その合間に、ふたりで、前日に行われた朝比奈隆指揮によるブルックナーの大交響曲の演奏について、あれこれ感想や批評に時間を費やす。彼の音楽に対する博識、楽理的な知識の確実さにも驚いた。私が30代後半。゛亮太くん゛は前記のように、確か17歳かそのくらいだった。
世の中が少しだけ変わった。バブル経済は遠い夢となり、アストル・ピアソラの名前とその音楽を知らない音楽通などいない。「ピアソラ前とピアソラ後のタンゴ」の話も半ば常識。ただその常識を15年近く前に、黙々と実行していた無名の少年がいたことはここに報告しておいてもいいだろう。「誰も知らないヘンなアコーディオン」を手にして、スペイン語と「前衛タンゴ」(ピアソラは一部でそう呼ばれていた)を演奏する不思議な少年がいたことを。
その゛亮太クン゛が、「バンドネオン界の若きヒーロー」「タンゴのトップ・シーンを駆け抜ける小松亮太」となって、自らプロデュースした「Tango Spirit III」に登場した。懐かしさに浸っている場合ではない。後半には作曲家でテクニシャン・ピアニストのオスバルト・ベリンジェリが参加。あのセクシーなタンゴ・ダンスのミリアム&ウーゴが踊った。そして前半のメインでは、ピアソラの「バンドネオン協奏曲」がタンゴバンドの13人編成で演奏された!
ピアソラの協奏曲はすばらしかった。サントリーホールなどで演奏される正規のオーケストラを従えた原曲の形態よりも、当日の形のほうが、リズムのキレ、バックとの呼吸など断然いいようだ。言っては悪いが、モーツァルトを演奏し慣れたシンフォニー・オーケストラは、指揮者に恵まれないと(そういう演奏を聴いたことがある。ソリストは小松亮太でなかったけれど)、とにかくリズムが悪い。ぜんぜんタンゴしない。当日の13人(弦楽器8人とパーカッションほか)はタンゴのツボをよく知って、愛している。これからもこの形でどんどん演奏・紹介してほしい。
ベリンジェリのピアノが良かった。私の偏見で、「クラシックと違って、ポピュラー部門のピアニストはテクが無いからなあ」と思っていたら大間違い。どこの世界でも「超一
流は規格外」という実例がそこにいた。ミリアム&ウーゴもそう。テクニックの切れ味が凄い。まるでアニメーションの動きのような速さだ。それと、独特の頽廃的で危険なムード。17歳かそれくらいの時の小松亮太が話していた、あのタンゴのルーツのことを一瞬思い出した。
小松亮太のバンドネオンはスケールが大きくなった。ステーシ上の語りも、あの訥々とした、それでいてフシギに澱みない感じが、少年の頃の話し方に独自の味わいを加味した感じで面白い。楽屋でのふだんの会話も、あんな感じなんだよね。
今では、バンドネオンというと小松亮太だ。彼の存在を知らないのは、音楽の世界ではもう非常識。タンゴのコンサートに、若いカップルが大挙押し寄せているというのも、小松亮太ならではだ。それでいて、昔ながらの、「ピアソラ以前」からのタンゴ・ファン、オールド・タンゴ・ファンの姿もかなり見られたのが心強い。客席層がほとんど全世代。じつに羨ましい。サントリーホールの客席は、限りなく年齢層が上昇してしまっている。
小松亮太の快進撃はとうぶん続きそうだ。でもいつか暇な時にまた、あのバブル時代後期の゛亮太クン゛当時のハナシで盛り上がろうぜ。
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