小松亮太(Ryota Komatsu)

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小松亮太ってこんな人
小松亮太の軌跡
小松亮太の軌跡
渡部晋也(音楽ライター、舞台写真家)
いまや日本を代表するバンドネオン奏者/楽団リーダーとして知られるようになった小松亮太さん。その小松さんがどうしてバンドネオンと出会い、修得していったかはプロフィールやいろいろな記事での発言にゆずるとして、ここではソニーからのデビュー少し前の小松さんの活動から話を進めていきたい。


Astor Piazzolla
デビュー以前の小松さんの活動といえば、まずご両親の楽団であるタンゴ・クリスタルバンドネオン奏者としてのものがある。その他にも自己の楽団を組み江古田Buddy(バディ)などのライブハウスを中心にした演奏活動や、コントラバス奏者の斎藤徹氏とのツアーなど、精力的な活動を展開している時期だったが、まだその時期はタンゴやピアソラが現在ほど一般的ではなかった。アストル・ピアソラがその死後5年を経たあたりで再認識され始めたのが96〜97年あたりのこと。日本でもピアソラに捧げる大規模なコンサートが開催されたが、その時の出演者候補として小松さんはノミネートされていなかった。また、2000年代のタンゴ・ダンスブームのきっかけにもなったステージ「フォーエバータンゴ」がブロードウエイのヒットにより初来日したのが1999年。それ以前のタンゴは、古くからのファンに支えられるシーンだったわけだ。
転機になったのはアストル・ピアソラと行動を共にしたフェルナンド・スアレス・パス(vl)、オラシオ・マルビチーノ(g)、ヘラルド・ガンディーニ(pf)、エクトル・コンソーレ(b)等とレコーディングしたデビュー・アルバム「ブエノスアイレスの夏」(98年7月リリース)だろう。これだけの大物をそろえたレコーディングはそれだけでも衝撃的だった。当時のインタビューで小松さんは『こうした皆さんとのレコーディングを、今本当にやるべきかどうかは正直考えましたが、思い切ってやってみようと思って』と心境を語っているが、レコーディング、そして巨匠たちを迎えてのコンサートを成功させた小松さんが、一躍注目を浴びたのはいうまでもない。

デビューCD「ブエノスアイレスの夏」


ポーチョ・パルメル
1999年に入る前後から、小松さんはバンドネオンにポーチョ・パルメル氏を迎えたスーパー・ノネットでのコンサートツアーを展開する。さらに10月にはこのメンバーを中心に、アルバム「来たるべきもの」をリリース。また、4月にはニューヨーク、カーネギーホールで開催されたスペシャル・コンサート「タンゴ・マジック」に参加したり、社会派テレビドラマとして話題になった「ラビリンス」の音楽を担当したり、さらには五重奏団でバレエ界のスター、熊川哲也率いるKカンパニー公演への参加など多彩な活動を行なった。

CD「来るべきもの」


ビクトル・ラバジェン
2000年は五重奏団のザ・タンギスツのツアーで始まっている。全国くまなく行われたツアーで小松さんの名前が浸透し始めた時期だともいえるはずだ。夏には青森県南郷村で開催されているジャズ・フェスティバルに参加。野外ステージを囲むいっぱいの聴衆が小松さんの熱演に熱狂したこの日は、良質の音楽にはジャンルがないことを実証した日でもあった。そしてこの年に名バンドネオン奏者で作・編曲家のビクトル・ラバジェン氏を迎えた「タンゴ・スピリット」公演が行われた。東京、大阪など全国六都市での公演では、演目にいっさいピアソラ作品がない公演でもあった。いつのまにかでき上がっていた「ピアソラを弾く小松」という認識から意識的に離れていった時期といってもいいはずだ。

「Tango Spirit」
公演チラシ


CD「La Trampera」
「タンゴ・スピリット」に続く小松さんの挑戦が実現したのが翌2001年だった。念願であり、かつ維持が困難なオルケスタ・ティピカを結成する。小松さんのスタイルのひとつとして定着しているバンドネオン4台、ヴァイオリン2台、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノという編成は、この年が起点になっているといえるだろう。また三枚目のアルバム「La Trampera 〜うそつき女」でも様々な編成など意外性のある試みでファンを楽しませてくれた。なかでも本来はバンドネオンを入れて36名の編成で演奏される「バンドネオン協奏曲」を、パーカッションを加えた9名で取り組んだのには驚かされた。世界的に見ても珍しい、意義ある取り組みがどんどんと実現されていったのだ。さらに、小松さんの名前をさらに広めた編集盤「image」と同名コンサート「ライブ・イマージュ」への参加もこの年が最初だった。

CD「image」


「ピアソラ別伝。」
公演チラシ
2002年前半に小松さんは休養宣言を出した。しかしこれが次のプロジェクトへの助走だったことはその後に、ジャズの殿堂として知られるブルーノート東京で行われたライヴ・レコーディングや、秋に行われたコンサート「ピアソラ別伝。」への準備期間だったことは、それらの成功が物語っているはずだ。特に「ピアソラ別伝。」はある意味、会場にやって来る聴衆への挑戦ともとれるアグレッシヴな内容だったが、後にも先にも、これほどに強いコンセプトを持ったコンサートはジャンルを問わず行われていないかもしれない。ブルーノート東京での演奏を収めたCD「Live In TOKYO」もまた、日本発信のタンゴ・オルケスタとして前例のない企画だといえるだろう。

CD「Live In TOKYO」


「Tango Spirit 2」
公演プログラム
2003年。これまでのコンサート活動やレコード・リリースにより、すでに小松さんの知名度もだいぶ上がってきたといえる時期だが、この年に再びビクトル・ラバジェン氏を迎えて「タンゴ・スピリット2」が開催された。デビュー5周年ともいえるこの年に行われたこのコンサートで、小松さんは前回に比べて大きく成長した姿を、聴衆に、そしてラバジェン氏にアピールした。さらに年末には、タンゴ界の巨匠であるレオポルド・フェデリコ氏の日本最後の公演に呼ばれて参加している。まさに音楽が世代を越えて受け継がれる、そんな瞬間を体験できる貴重な機会になった。


オスバルド・ベリンジェリ



マリア・グラーニャ
そして2004年。小松さんはさらに大きなステップに挑んでいた。まずはタンゴ・ピアノの最高峰、オスバルド・ベリンジェリ氏と、現代最高のタンゴ歌手、マリア・グラーニャ氏を迎えた「タンゴ・スピリット3」の開催だった。タンゴのビッグ・ネームを、しかも二人も迎えることも去ることながら、これまでにないキャパシティの会場での公演ということで二重のチャレンジであったことはいうまでもない。さらに待望のニューアルバム「タンゴローグ」は、これまでの「タンゴ演奏家:小松亮太」というイメージを打ち砕かんとするアイデアとパワーに満ちた作品だった。また同時に初の監修作となる本「タンゴ・ラヴァーズ」も発表。まさに七面六臂の活躍を見せた年だった。そして締めくくりは翌年にかけてのヨーロッパでの演奏旅行。バーデンバーデンなどで演奏された「バンドネオン協奏曲」に大きな拍手が沸き起こったのはいうまでもないだろう。

「Tango Spirit 3」
公演チラシ
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